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名古屋地方裁判所半田支部 昭和52年(ワ)30号 判決 1980年6月18日

原告

猪村好雄

原告

猪村和子

右原告訴訟代理人

加藤良夫

被告

服部義則

右訴訟代理人

後藤昭樹

外二名

主文

一  被告は、原告両名に対し、各自金一二、六三九、四四八円および内金一一、四八九、四四八円に対する昭和五一年七月三〇日以降、内金一、一五〇、〇〇〇円に対する昭和五二年四月二九日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを六分し、その五を被告の負担とし、その一を原告両名の負担とする。

四  この判決は原告両名勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告ら

1  被告は原告各自に対し金一五、六三三、八八三円およびこれに対する昭和五一年七月三〇日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3仮執行宣言。

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。<以下、事実省略>

理由

一原告両名はしのぶ(昭和三八年一〇月一三日生)の実父母であること、被告は、肩書住所において開業している医師で、外科の診療行為に従事していること、被告は、昭和五一年四月一二日夜、しのぶの嘔吐、悪心、腹痛を伴う急性腹症について第一回の診察を行ない、胃炎の疑いがあると診断して、鎮痛剤等の注射をしたうえ、痛みがとれなければ明日来院するよう指示したこと、しのぶは、腹痛、悪心が続いたため、翌四月一三日午前九時頃、被告の第二回診察を受けたこと、その結果、被告は、虫垂炎の可能性が高いと診断し、原告猪村和子の承諾を得て、同日正午過ず頃しのぶの虫垂切除手術を行なつたこと、しのぶは、その後引き続き被告方に入院して被告の診察を受けていたところ、同年四月一五日、腹痛を訴え、顔色は青白く、腹部に膨隆が認められる状態になつたため、被告はしのぶの腹部X線撮影をしたこと、その結果、しのぶの腹部に腸閉塞症状を示すガス像が認められたので、被告は、高位浣腸をしたこと、しかし、その後しのぶの腹部膨隆等腸閉塞症状が続いたが、被告は、前記手術後の麻痺性腸閉塞であると診断し、これに対する高位浣腸、胃吸引等の処置をしたこと、ところが、同年四月一八日、しのぶの腹部は一層ふくらみ、顔色は一層悪く、元気がなくなり、被告は、同日正午過ぎ頃から、しのぶの再開腹手術を施行したこと、その結果、しのぶの小腸が回腸末端部において捻転して機械的腸閉塞を起しており、腸管は既に壊死の状態に陥つていることが判明したので、被告は右腸管を切除したこと、右手術後、同日午後九時頃、しのぶは臨港病院に搬送され、以後同病院において治療を受けたが、結局死亡するに至つたこと、以上の事実については当事者間に争いがない。

二しのぶの死亡の原因について

<証拠>によれば、次のとおりの事実が認められる。

昭和五一年四月一八日被告が行なつた第二回手術の所見によれば、しのぶの小腸は回腸末端部において輪状を描き、下方の交又部分で捻転した機械的複雑性腸閉塞を起し、そのためその捻転部位の腸管は既に壊死に陥つており、汎発性腹膜炎を併発していた。

そこで、被告は、壊死した腸管を約四〇センチメートルにわたつて切除し、腸管の口側および肛門側の両断端にタバコ嚢縫合を施した。また、回腸口側約五〇センチメートルの箇所に約三〇センチメートルにわたつて腸管がゆ着し、剥離しようとすると腸の漿膜が剥離したため、この部分を切除し、端々吻合を施した。その他にも広範囲にわたつて漿膜損傷が生じていたため、漿膜縫合を施した。前記のタバコ嚢縫合をした腸管の断端は横行結腸と吻合しようとしたが、困難であるため、その吻合は二次的に行なうこととし、左側腹部に右腸管の断端を引出して人工肛門を設置し、腹腔内を生理食塩水で洗浄し、右側腹部よりダグラス窩ヘビニールシートドレインを挿入し、腹壁を縫合した。

被告は、以上のような手術を行なつたのであるが、汎発性腹膜炎が予想以上に重症であり、しのぶの全身状態も悪いため、前記の腸管吻合の二次的手術の施行と予後のために、前同日午後九時頃しのぶを臨港病院へ転医させた。

臨港病院に入院当時、しのぶは、汎発性腹膜炎と脱水症状のためかなり重篤な状態になつていたので、同病院においてはまず点滴を施してしのぶの体力の回復を図つたが、同年四月二二日、しのぶの腹腔内に腸の内容物が漏れ出して滞溜していることが判明したため、同病院医師訴外小松克己は、これを排出するための誘導管を腹腔に挿入する手術を施行した。しかし、なおも腸の内容物の漏出が続き、放置しえない状態となつたため、同年四月二四日右小松克己ほか三名の医師がしのぶの開腹手術を施行したところ、小腸はゆ着を生じ、三ケ所において破裂していたので、二ケ所は縫合閉鎖したが、人工肛門から約六〇センチ口側の位置にあつた他の破裂箇所の付近の腸管には随所に小穿孔があるという状態であつたので、右破裂箇所から肛門側の腸管を約六〇センチにわたつて切除せざるを得なかつた。右切断部分は横行結腸に個々吻合を施行した。そして、腹腔内洗滌、腸管ゆ着防のための副腎ホルモン剤注入、腹腔、腸管内の滞留物排出のための誘導管挿入等の処置をした。

しかしながら、右手術にもかかわらず、しのぶの腸管の状態は改善されず、腹腔内の細菌汚染が進行し菌血症、さらには敗血症が生じて高熱が続くようになり、同年七月三〇日午前三時一〇分しのぶは臨港病院において死亡するに至つた。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

また、同年四月一八日以降の三度の手術自体にしのぶの死亡の原因となるような不適切な処置がなされ、或は必要な処置がなされなかつたと認めうる証拠はない。

従つて、以上の認定事実によれば、しのぶは、同年四月一八日の被告の第二回開腹手術の時点において、前記腸閉塞の結果腸管が壊死に陥り、重篤な汎発性腹膜炎を惹起するという手遅れの状態に陥つており、その結果、前記の三度にわたる腸管切除等の手術の効果もなく死亡するに至つたことが明らかである。

三被告の診療行為上の過失責任について

1  <証拠>によれば、機械的複雑性腸閉塞(所謂腸捻転)の場合には、腸壁および腸間膜の血行障害、腸内容物の停滞、腸管拡張を生じ、時間の経過によりやがては腸管が壊死の状態に陥り、腹膜炎を惹起するに至つて、生命に重大な危険を及ぼす疾病であり、また、右腸閉塞の症状如何によつては発症後二〇時間以上の経過で危険な状態に至るとされ、症状の進行の早い疾患であるため、医学上一般に緊急開腹手術により腸閉塞の原因を早急に除去することが必要であり、手術の時機を逸してはならないとされていることが認められる。

そこで、しのぶの腸閉塞が前記のとおり昭和五一年四月一八日の開腹手術の時点において既に手遅れの重篤な状態に陥るに至るまでの間の被告の診療行為について、過失の有無を検討する。

2  しのぶの腸閉塞の発症の時期について

(一)  <証拠>を総合すると、次のとおりの事実が認められる。

(1) 機械的複雑性腸閉塞の初発症状は、激しい突発的な腹痛が起り、持続的な嘔吐、悪心が発現する。嘔吐の内容は、初期には胃内容および胆汁であるが、後には閉塞部位より上流の腸管内の便性の腐敗物が吐出されるようになる。

また、右腸閉塞においては発病後の時間の経過に伴い、閉塞部の上流の腸管の蠕動は亢進するので、聴診により特有の腸雑音(金属性有響音とされる)が聴取され、また、上流の腸管に内容物の腐敗によるガスが充満することによる腹部膨隆と鼓腸が発現するが、排便、排ガスは停止する。

なお、通常、白血球の増加は少なく、増加しても八、〇〇〇ないし一二、〇〇〇程度であるとされる(甲第五号証参照)。

(2) しのぶは、昭和五一年四月一二日昼過ぎ頃、学校で腹痛を感じ、一、二回嘔吐し、さらに放課後、下校途中に学習塾に寄つて同日午後四時頃帰宅するまでの間にも二回嘔吐し帰宅後も悪心が続いたため、同日午後七時頃訴外早川俊明医師の診察を受けたが、その間も腹痛と悪心は続いた。なお、右下校時と早川医師方へ行く時は、しのぶは徒歩であつたが、早川医師の紹介で同日午後八時前頃被告方へ赴く際は、しのぶは腹痛が増したため歩くことが困難であつたので、原告猪村好雄運転の自動車で送られた。

(3) 被告の初診時におけるしのぶの白血球数検査の結果は八、〇〇〇で、通常より若干の増加が認められる程度であつた。

被告がしのぶの腹部の触診をした結果は、上腹部に強い圧痛、左右下腹部にも圧痛を訴えたが、筋性防禦は認めず、また、腹部の膨隆も認めなかつた。

そこで、被告は急性胃炎の疑いをもち、鎮痛剤(レリーズV一cc、ソセゴン一五ミリグラム)と栄養剤を注射し、一晩経過を見ることとし、しのぶに付添つていた原告猪村和子に対し、痛みがとれなければ翌日来診するよう指示した。

(4) 右同日夜帰宅後もしのぶの腹痛、悪心は継続したため、翌四月一三日午前九時頃、しのぶは再び被告の診察を受けた。

その際、問診の結果、しのぶは腹痛のため前夜は眠れなかつたこと、悪心はあるが、嘔吐はなく、下痢があつたとの訴えがあり、腹部の触診の結果、右下腹部に限局した圧痛を認めたが、筋性防禦は認めず、腹部膨隆も認めなかつた。

白血球数検査は、八、四〇〇であり、前日の初診時に比較して著しい増加は認めなかつたが、被告は、以上の診察の結果、特に腹部圧痛の部位が右下腹部に限局してきたことから、虫垂炎の可能性が極めて高いと判断し、その旨原告猪村和子に告げ、原告らは虫垂炎であれば手術して欲しい旨述べて手術に同意したので、被告は虫垂切除手術を施行することとした。

(5) 被告は、右同日正午過ぎ頃、しのぶの虫垂切除手術を施行したが、虫垂は軽度の発赤がみられる程度で、著明な炎症性の変化には至つていない状態であつたので、手術前のしのぶの症状からみて意外に感じた。

そこで、被告は、比較的軽度のカタル性虫垂炎と判断して、虫垂を切除し、なお、念のため卵巣に指で触れて軸捻転等の異常のないことを確かめたうえ、手術を終了した。

しかし、被告は、右手術において、腹腔内に腹水の貯溜や他の腸管の色彩、形状に異常を認めなかつた。(もつとも、原告猪村和子本人尋問の結果中には、被告方の看護婦が、右手術について、時間がかかり、腹水も多かつたので、どこか他に悪い箇所があつたのではないかと話した旨の供述部分があるが、右供述は伝聞証拠であり、右看護婦がどのように右手術に関与したのかも明らかではないから、右手術時に腹腔内に腹水が多かつた旨の右供述は、被告本人尋問の結果に照らしても、たやすく措信し難い。)

(6) 同年四月一四日、被告は、しのぶの腹部の聴診をしたところ、腸雑音を聴取することができた。(被告本人尋問の結果中には、右腸雑音は弱かつた旨の供述部分があるが、前掲乙第二号証の診療録には特に腸雑音が弱い旨の所見は記載されていないことに照らすと、右供述部分の信用性には疑問が残る。)

同日の夕食には、しのぶはおもゆを少々食べた。

(7) 同年四月一五日午前九時頃、被告が診察した際、しのぶは、悪心はないが、腹痛を訴え、顔面が蒼白で、腹部に膨満が認められ、かつ、下腹部に強い圧痛が認められた。なお、被告は触診による腹部の筋性防禦は認めなかつた。

そこで、被告は、腹部単純立位X線撮影を行なつたところ、腹部の数ケ所にニポー(底辺が水平になつたガス像で水面像または鏡面像ともいう)を形成したガス像が認められたので、腸閉塞症状であると認めた。

(二)  以上の認定事実と前記当事者間に争いがない事実および前記同年四月一八日の被告の第二回開腹手術の所見を総合すれば、しのぶの小腸の回腸末端部における機械的複雑性腸閉塞は、同年四月一五日午前九時頃の前記診察時には既に発症していたことは明らかである。そして、被告本人も、同年四月一四日(前記虫垂切除手術の翌日)、前記のとおり聴診によりしのぶの腸雑音を確認した時点において既に右腸閉塞が発症していたものと推認しうることを自認している(昭和五四年五月二三日被告本人調書六三項)。

(三)  ところで、原告らは、しのぶの前記腸閉塞は腹痛が始つた当初から発症していた旨主張するので、この点につき検討する。

(1) 前示認定のとおりのしのぶの同年四月一二日昼過ぎ頃以降の持続する腹痛、嘔吐、悪心の症状は、機械的複雑性腸閉塞の初期症状と矛盾するものではないと考えられること(なお、嘔吐した物の内容については、被告の問診により確認された形跡は認められない。)、

(2) 被告の初診時およびその翌朝の再診時における白血球数検査の結果は、右腸閉塞において通常見られる血液検査の所見に符合すること、

(3) 被告は、虫垂切除手術の際、前示認定のとおり、虫垂自体に著明な炎症性の変化が認められず、軽度の赤化がみられる程度であつたので意外に感じたこと、

(4) 被告本人尋問の結果によれば、被告は、前記初診および再診時において、しのぶの腹部の触診により筋性防禦が認められなかつたことおよび腹部膨隆が認められなかつたことに主眼を置いて機械的腸閉塞発症の可能性を否定し、腹部の聴診を行なわなかつたものと認められるがしかし、<証拠>により認められる医学上の知見によれば、所謂筋性防禦は、通常腹腔内の炎症による腹膜刺激症状を示す臨床所見であり、機械的腸閉塞の発症に必然的に伴なうものであるとは必ずしも考えられておらず、また、虫垂炎の場合にも筋性防禦が認められる場合もありうるとされており、現に、前示のとおり、被告がしのぶの腸閉塞症状を確認した同年四月一五日の時点においても、腹部触診による筋性防禦は認められていないことに照らすと、筋性防禦が認められないことをもつて直ちに機械的腸閉塞の可能性を否定しうる主要な根拠とするのは、必ずしも合理性があるとは認め難いうえ、機械的腸閉塞の場合には、前示のとおり特有の腸雑音が生じるため、腹部聴診は腸閉塞の診断上有力な方法とされていること等の諸点を考慮すると、しのぶの初診および再診時に、被告が腹部聴診をしないまま機械的腸閉塞発症の可能性を否定したことが、果して診療行為として適切であつたといえるかという疑問が生じること、

(5) 以上の(1)ないし(4)記載の諸点を総合的に考察すると、しのぶは、前記虫垂切除手術以前、同年四月一二日腹痛等の発症当初から機械的腸閉塞に罹患していたという疑いが生じる。

しかしながら、他方、

(6) 一般に機械的複雑性腸閉塞は経過の進行が早いとされているが、しのぶの腹痛等の発症当時から既に二〇時間余経過したと推認される前記虫垂切除手術の時点において、機械的複雑性腸閉塞によつて通常生じる腹部膨隆や腸管拡張等の病変が生じていたと認めうる証拠はないこと、

(7) 前記のとおり、機械的複雑性腸閉塞においては、発症後時間の経過に伴つて、排便、排ガスは停止するに至るのであるが、しのぶは、被告の初診を受けて帰宅後同年四月一三日午前九時頃の再診時までの間に下痢をしたことを右再診時に被告に告げていること(判示第三項2(一)(4)参照)、

(8) <証拠>によれば、小児や老人の場合には、虫垂炎でも白血球数の著明な増加がない場合もあることが認められるので、しのぶの前記白血球数検査の結果白血球数の著しい増加が認められなかつたことは、必ずしもしのぶの虫垂炎の発症を否定しうる根拠とはならないと考えられること、

(9) 以上(6)ないし(8)記載の諸点を考慮すると、しのぶが前記虫垂切除手術以前、腹痛等の発症当初から機械的複雑性腸閉塞に罹患していたと推認するには、なおかなり疑問が残るといわなければならない。

(10) 以上のとおりであるから、本件全証拠を精査しても、しのぶが前記虫垂切除手術以前、腹痛等の発症当初から右腸閉塞に罹患していたとは推認し難い。

3 昭和五一年四月一五日以降の被告の診療行為上の過失について

前示認定のとおり、昭和五一年四月一五日午前九時頃の診察時において、しのぶの小腸に前記機械的複雑性腸閉塞は既に発症しており、被告に前記X線撮影等により腸閉塞症状を認めた。

しかるに、被告は、同年四月一八日第二回開腹手術の施行を決定するまで、右腸閉塞は前記虫垂切除手術後の麻痺性腸閉塞であると診断し、高位浣腸、胃吸引等の麻痺性腸閉塞に対する処置を行なつたことについては、当事者間に争いがない。

そこで、以上の被告の診療行為につき、被告に過失があつたか否かを検討する。

(一)  <証拠>によれば、次のとおりの事実が認められる。

(1) 麻痺性腸閉塞は、腸管を支配している血管神経の障害により腸管運動に障害が起り、腸内容の停溜蓄積を来すところの機能的腸閉塞の一種で、腸管の運動麻痺を起す機序としては、内臓神経反射による場合、全身の自律神経の緊張度の平衝状態に変化を招く場合、腸管自体の変化による場合があるとされ、内臓神経反射による場合の例としては、開腹手術後の内臓神経反射によつて麻痺性腸閉塞が生じることがあることが医学上認められており、それは手術後早い時期に発症するとされている。(なお、被告本人尋問の結果によれば、被告本人も手術後一昼夜以上経過してから右の麻痺性腸閉塞が発症するようなことは通常考えられないことであることを自認している。)

(2) 現在の外科医学の知見によれば、麻痺性腸閉塞に対する治療は、浣腸、胃内容の吸引、腸管蠕動亢進剤の使用、高圧酸素療法等の非手術的療法によるべきであり、手術的療法は原則として麻痺性腸閉塞に適さないとされているのに対し、機械的腸閉塞については緊急開腹手術により早急に腸閉塞の原因を除くことが必要であり、手術の時機を逸してはならないとされているので、麻痺性腸閉塞と機械的腸閉塞との鑑別は極めて重要である。

(3) 麻痺性腸閉塞と機械的腸閉塞との鑑別診断に当つては、前者は腸雑音が聴取されないのに対し、後者は特有の腸雑音(金属性有響音といわれる)が聴取されること、また、腹部立位X線撮影により、いずれの場合にもニポー(鏡面像)を形成したガス像が認められるが、前者の場合には、各腸管のニポーは概ね同一の高さに並んでみられる一方、左結腸曲部や直腸にもガス像が認められるのが特徴的であるのに対し、後者の場合には、ニポーは段階状にみられ、腸閉塞発症部位より下流すなわち肛門側には、蠕動によつてガスは排泄されうるため、ガス像が認められないことが多いのが特徴である等の相違点が存在することが医学上重要な判断要素とされている。

(二) 以上のとおりの機械的腸閉塞および麻痺性腸閉塞に関する外科医学上の知見の要点に照らして、被告の昭和五一年四月一五日以降の診療行為を検討すると、被告の診療行為には次のとおりの過失があつたと認められる。

(1) <証拠>によれば、被告は、同年四月一五日午前九時頃の診察時のしのぶの腹痛の訴え、腹部膨満、腹部立位X線撮影の所見等から、腸閉塞症状を認めたが、前記虫垂切除手術後の時間的経過も考慮して、右手術後の麻痺性腸閉塞の疑いを抱き、同日午前一〇時三〇分頃高位浣腸を行なつたところ、糞塊二個が排泄され、午前一一時三〇分再度高位浣腸を行ない、正午頃シナパン(腸蠕動亢進剤)五〇〇ミリグラムを注射し、さらに午後零時三〇分頃肛門から排気管を挿入したところ、ガスが少々排泄され、午後一時二〇分頃高位浣腸によりガスを排泄させたこと、そして、しのぶは、午後四時頃腹痛が減少し、悪心はなく、全身状態は良好となり夕食の粥を少し食べたこと、その後、被告は、同日午後六時三〇分頃高位浣腸を行なつたところ、午後七時頃下痢便が少々排泄され、左下腹部圧痛は少し弱くなつたと認めたこと、被告は、以上の経過から麻痺性腸閉塞に対する処置により一応の効果が現われたものと認め、麻痺性腸閉塞が発症している可能性が高いと診断したこと、そこで、被告は、しのぶの今後の経過によつては高圧酸素療法を施行することも考慮し、その設置を有する臨港病院へその旨連絡をして準備していたこと、以上の事実が認められる。

ところで、<証拠>によれば、同年四月一五日撮影にかかるしのぶの腹部立位X線写真には、ニポーを形成したガス像が段階状に現われていることが認められるのであり、この現象はむしろ機械的腸閉塞の場合の腹部立位X線写真に現われる前記特徴に符合するとも考えうるのである。

また、前示認定のとおり、被告は、前記虫垂切除手術の翌日である同年四月一四日、しのぶの腹部聴診により腸雑音を聴取していたのであるが、一般に手術後の麻痺性腸閉塞は、その手術後早期に発症するものであり、かつ、その場合には腸雑音は聴取されないという前記の外科医学上の知見に照らすと、被告が右同日腸雑音を聴取し得たという事実は、前記虫垂切除手術後の麻痺性腸閉塞が発症したという推測に矛盾する事実であるといわなければならない。

従つて、被告が同年四月一四日しのぶの腸雑音を聴取した事実および同年四月一五日撮影の前記X線写真の所見に着目すれば、被告は、右同日しのぶの腸閉塞症状を認めた時点において、機械的腸閉塞の可能性を十分考慮し、再開腹手術の時機を逸することのないよう手術の時期、方法について慎重な検討を行なうべきであつたというべきである。しかしながら、被告は、前記のとおり、麻痺性腸閉塞の疑いがあるとの心証のもとに、これに対する諸処置を施行したに止まり、右のような機械的腸閉塞に対する配慮を尽していたとは認め難い。被告本人尋問の結果中には、前記X線写真の所見では麻痺性腸閉塞であるか機械的腸閉塞であるか判別し難い旨述べ、機械的腸閉塞の可能性も考慮したかのような趣旨の供述部分があるが、しかし、診療録の記載内容に照らしても、被告が、右同日、機械的腸閉塞の可能性をも十分考慮し、再開腹手術の時期、方法等の検討も含めて、しのぶの症状の経過を観察し、検討を加えていたという形跡は認められないのである。

また、被告は、前記のとおり、高位浣腸および腸蠕動亢進剤注射等の処置により排便、排ガス、腹痛軽減等の効果が認められたことから、麻痺性腸閉塞の可能性が高いとの心証を抱くに至つたものと認められるが、右の処置によつて前記の程度の効果が現われたことをもつて、機械的腸閉塞の可能性を否定し、麻痺性腸閉塞と診断しうるだけの医学上合理的根拠があるということができるかどうか極めて疑問である。

以上のとおり、同年四月一五日の被告の診療行為には、機械的腸閉塞の可能性を考慮し、再開腹手術の時機を逸することがないよう慎重に検討すべきであつたのに、これを怠り、単に麻痺性腸閉塞の可能性が高いと診断し、これに対する処置を考慮し、施行するに止まつたという点において、鑑別診断上過失があつたというべきである。

なお、前記のとおり、被告は、右同日しのぶの絶食の指示をせず、夕食に全粥を少々食べさせたのであるが、機械的腸閉塞の可能性を考慮すべき事態のもとにおいては、不適切な処置であるといわなければならない。

(2) <証拠>によれば、同年四月一六日になつてもしのぶの腹部には膨満が認られ、弱い腸雑音が聴取され、腹部立位X線撮影により上下に段階状にニポーの形成が認められたこと、同日午後七時四〇分頃、被告方の非常勤医師訴外岡村永義がしのぶを診察した際、腸雑音が聴取されず、腹部膨満が続いていたため、同医師は絶食を指示し、原告猪村和子に対しても、しのぶには口から何も摂取させないよう注意を与えたこと、しかるに被告は、右同日は腸蠕動亢進剤(シナパン)、栄養剤を注射したに止まり、翌日の食事にはしのぶに全粥を摂らせるよう指示したこと、以上の事実が認められる。

以上の事実によれば、同年四月一六日においては、腹部膨満、腸雑音、X線写真のニポーを形成したガス像という機械的腸閉塞を一層考慮すべき所見が認められたのに、被告はその検討を怠り、漫然と麻痺性腸閉塞に対する処置を継続したことが明らかである。特に、前掲乙第七号証に明らかにされている医学上の知見に照らすと、岡村永義医師が診察した時点において、前記のとおり腸雑音が消失するに至つていたことは、既にしのぶの機械的腸閉塞が末期的症状に移行しつつあることを示していると推認され、従つて、早急に開腹手術を施行することを考慮すべき段階に至つていたと推認することができる。そして、被告が、機械的腸閉塞の可能性を考慮して、同年四月一四日から一六日に至る間の前記各所見を慎重に検討し、かつ、岡村永義医師の前記診察による所見(診療録に要点が記載されている)を十分は吟味していたならば、同年四月一六日夜にはしのぶの機械的腸閉塞に対する緊急開腹手術の必要性を認めることができたであろうと推認することができる。なお、被告本人尋問の結果によれば、被告は、同年四月一六日の段階においてしのぶの再開腹手術を施行することは十分可能であつたことを自認している。

そして、前記のとおりの同年四月一四日から一六日までの経過および同年四月一八日の前記第二回開腹手術の所見を総合的に考慮すると、遅くとも同年四月一六日夜の段階において早急に開腹手術が適切に施行されておれば、しのぶの腸閉塞による疾患が、同年四月一八日の前記第二回開腹手術当時のような手遅れ状態に陥ることを回避することが可能であつたと推認することができ<る。>

従つて、同年四月一六日夜の時点において、機械的腸閉塞に対する緊急開腹手術の検討を怠つた被告の過失は重大であるといわなければならない。

なお、被告は、前記のとおり、同年四月一六日夜の岡村永義医師の絶食の指示(前記診療録にも記載されている)にもかかわらず、その翌日のしのぶの食事として全粥の摂取を指示したが、右事実によつても、被告が同日のしのぶの腸閉塞の所見に対する検討に慎重さを欠いていたことが窺われる。

(3) <証拠>によれば、同年四月一七日午前九時頃の診察時しのぶの上腹部に膨満、鼓腸が認められたが、圧痛は認められなかつたので、被告は、なおも麻痺性腸閉塞の症状であると診断し、同日午後七時頃まで高位浣腸、胃ゾンデによる胃吸引をくり返し、その後、同年四月一八日午後八時頃の診察により、しのぶの腹部に圧痛を認めるに至つて、腹部膨満、鼓腸および腹部X線撮影等の所見と同年四月一五日以降の腸閉塞症状の経過を考慮し、被告はようやく機械的腸閉塞であると判断して、緊急開腹手術を決意するに至つたことが認められる。

そして、このようにして、しのぶの機械的腸閉塞に対する開腹手術による適切を処置が講じられないまま、同年四月一八日午後零時一〇分頃の前記第二回開腹手術施行に至るまで時間を徒過した結果、しのぶの腸閉塞による疾患は前記のとおりの手遅れ状態に陥つたものであることは明らかであるから、同年四月一七日の被告の診療行為が不適切なものであつたことは明らかである。

4 被告の診療行為上の過失としのぶの死亡との因果関係について

前記のおり、機械的複雑腸閉塞は、時間の経過により腸管壊死、腸膜炎を惹起し、生命に危険を及ぼすに至る疾病であり、症状の進行が早いため、緊急開腹手術により腸閉塞の原因を早急に除去することが必要であり、手術の時機を逸してはならないとされているのである。

前示認定のとおり、被告が前記虫垂切除手術後、特に昭和五一年四月一四日以降のしのぶの症状とその経過に対する注意深い観察と検討を怠らず、腸閉塞に対する慎重かつ適切な鑑別診断を行なつておれば、より早期にしのぶが機械的複雑性腸閉塞に罹患していることを確認し、開腹手術による適切な処置を講じることができたと認められ、そのような処置によつてしのぶを同年四月一八日当時の腸管壊死、汎発性腹膜炎の手遅れ状態に陥らせることを回避することができ、しのぶの死亡の結果を避けることができたであろうということができる。

従つて、被告の前示認定のとおりの診療行為上の過失としのぶの死亡との間には相当因果関係があるというべきである。

5 以上のとおりであるから、被告は、民法七〇九条に基づき、右診療行為上の過失により生じた損害を賠償すべき責任がある。<以下、省略>

(多田元)

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